|
人名 |
千種 義人 |
人名読み |
Chigusa Yoshindo |
生年月日 |
1911/10/24 (明治44年) |
没年月日 |
2000/9/3 (平成12年) |
出生地 |
兵庫県 |
専門分野 |
理論経済学・厚生経済学 |
解説 |
千種義人は、1911年10月24日、兵庫県に生まれた。1937年3月に慶応義塾大学経済学部を卒業後(金原賢之助のゼミナールに所属)、直ちに助手に採用されている。当時の研究テーマは、スウェーデンの経済学者カッセル(Cassel,Gustav)の学説に関するものであり、その成果は『価格・貨幣・為替の基礎理論-カッセル理論経済学の研究-』(1942年)に集大成された。 助教授として敗戦を迎えた千種は、1946年7月、再刊された『三田学会雑誌』(39巻1号)に「資本主義経済か社会主義経済か」と題する論文を掲載した。そこで千種はこう論じている。日本が抱える食料など生活必需品の生産促進、インフレーション防止などの諸問題は自由経済によって解決不可能であり、統制経済は必然である。しかし、統制には二つの方式がある。一つは資本主義経済の土台の上に経済統制を強化することであり、もう一つは社会主義経済体制に移ることである。資本主義経済と社会主義経済、その何れを選択すべきであろうか。千種の結論は、日本には社会主義経済を実現する条件が備わっておらず、それゆえに「資本主義経済といふ骨組の上で、それに社会主義的政策を極度に加へて行くといふ折衷的な途を選ばねばならない」とするものであった。 門下に学んだ福岡正夫によると、助教授時代の千種の講義ぶりは颯爽としたもので、かつ「夏休みになっても話の切りがつかないので、もう二、三回は講義をやる、都合のつく者は出てくるように」(福岡正夫著「千種義人先生を偲ぶ」2000年)と学生に指示するほど熱のこもったものであったという。上記論文を発表してから3年後の1949年1月、40歳を待たずに教授に就任した千種は、一年間の欧米留学から帰国した1959年4月、理論・計量経済学会理事に就任、翌1960年10月には、「資本主義計画経済の研究」という論文題目で経済学博士号を授与された。その後も、『計画経済原理』(1961年)、『新版経済学入門』(1962年)、『経済学要論』(1964年)、『経済原論』(1968年)、『経済学』(1972年)等の著書を精力的に刊行し続けた。千種から大きな学問的影響を受けた者も多く、1977年3月、義塾を定年退職した際には、福岡をはじめ、大熊一郎、富田重夫、松浦保、神谷伝造、川又邦雄、長名寛明、田中宏、山田太門、宇佐美泰生などの諸氏により退任記念論文集が刊行されたのである。 慶応義塾在職中には高等学校校長、理事(66年10月〜70年3月)などの役職をつとめた千種は、退職と同時に日本大学経済学部教授に就任、1980年には広島修道大学学長、1981年には関東学園大学学長に挙げられ、大学経営に手腕を振るった。千種は晩年に、『福沢諭吉の社会思想』(1993年)、『福沢諭吉の経済思想』(1994年)という二冊の書物を公刊している。これは、西洋の経済学説の研究書や経済学の教科書が大半を占める千種の著作のなかでは異色なものに属するが、千種自身は、「卒業して経済学部の助手、助教授、教授となったが、専門分野の研究に時間をとられ、福沢の著作を、『福翁自伝』、『学問のすゝめ』、『福翁百話』などは別として、他はほとんど読むゆとりもなかった。しかしやがて戦後、ゼミナールを担当するようになると、専門領域の研究にとどまらず、学生の人物養成にも心掛けなければならないという責務を感じ、…ゼミナールの夏の合宿では、毎年、福沢の著作の一冊をあらかじめ読んでこさせ、リポーターを割り当て、全員で討論させた」(『福沢諭吉の社会思想』はじめに)と述べており、千種の研究会では福沢の著作が必読の文献であったことがわかる。それまで比較的未開拓な領域であった福沢の経済思想や社会思想を千種が取り上げ、一書にまとめた功績は記憶に留めるべきであろう。そしておそらく千種本人にとっても、慶応義塾を創始した福沢の思想は大学運営に当たる上での心の支えとなっていたに違いない(なお、千種は、福沢の思想形成に大きな役割を果たしたチェンバーズ版『経済学』のうち、福沢が訳さなかった後半部分を翻訳し、慶応義塾福沢研究センター資料の一冊(『チェンバーズ版『経済学』(後半)』1995年)として刊行している)。 千種は専門の理論経済学の分野においても最期まで研鑽を怠らなかった。1991年12月のソ連邦の解体という事態をうけて、1993年1月、『経済学』(1972年初版、1986年改訂増補)に第二次改訂を施しているほか、1998年には丸山徹らの助力を得て、若き日に執筆した論文をもとに『ケインズ「一般理論」とその理念』を公刊している。これらの業績は、千種が、「経済学は現実の経済生活を説明する学問である。従ってそれは経済生活様相の転換と共に変容されて行かねばならぬ」(『価格・貨幣・為替の基礎理論』序)という彼自らの初心に忠実であったことを示していると言えよう。 (堀 和孝) |
|
旧蔵書 |
|
出典 / 参考文献 |
千種義人著『価格・貨幣・為替の基礎理論』(巌松堂,1942年) 千種義人著「資本主義経済か社会主義経済か」(三田学会雑誌. 39巻1号, 1946年) 「千種義人名誉教授略歴および著作目録」(三田学会雑誌. 70巻2号, 1977年) 千種義人著『福沢諭吉の社会思想』(関東学園大学, 1993年) 福岡正夫著「千種義人先生を偲ぶ」(三田評論. 1028号, 2000年) <写真>福沢研究センター |