画像一覧 > 小幡篤次郎の詩 / 小幡篤次郎著


  癸卯二月初三、先師福澤先生の忌辰に掃墓し、大雪に偶す
 四十年前の貧学生 先生携帯して江城に入る 今朝掃墓し、低回する處 雪は鬢毛を掠む無限の情
 福澤先生筆を休めず 朝を叱り野を罵り、真憂を発す 至尊は賜物し、民人は惜しむも 空しく盛名を鎖す白玉樓
 獨立自尊居士の墓 一標更めて碑文を刻まず 棺を蓋ひて人名を千載に定む 韓柳欧蘇、何をか又云はん
 
  小幡篤次郎は、福沢諭吉の女房役として長く慶応義塾の発展に尽した人物である。この七言絶句三首は、福沢の死の2年後である1903年2月に作られた。それぞれ仄起・平声庚韻、仄起・平声尤韻、仄起・平声文韻であり、三首とも仄起(偏格)である。第三首は起句の韻を踏み落とす変格であるが、文韻の「墳」とすべきところを「墓」としたのは技法であろうか。他にも平仄式がところどころ守られていないのは、日本漢詩の常である。
  『慶応義塾学報』第63号46頁にも、同題の三首が活字で掲載されているが、字句の異同がいくつかある。恐らくは同題別種の作品ではなく、『慶応義塾学報』のほうが誤植であろう。また、原文には第一首結句に推敲の跡が見られる。
 内容は、福沢を失った悲しみをその思い出と共に詩にしている。大雪の静けさが、悲しみの情をより一層増しているようにも思える。第三首結句で福沢を唐宋八大家に比するあたりは、福沢を心から尊敬する小幡らしい作品と言うべきであろうか。書法については、碩学の指摘を待ちたい。(坂本慎一)