初期の経済学書の多くは啓蒙的な性格のものであったが、その種の入門書で画期的な役割を演じ、広く読まれることになるのは、盲目の経済学者H・フォーセットの夫人ミリセント・フォーセットの『宝氏経済学』(永田氏蔵版)であった。福沢門下で慶応義塾教員も勤め、商業地理学の先駆者としても知られる永田健助の訳で、1877年の刊行であった。マルサスの『人口論』や救貧法の概要を紹介した『人口救窮及保険』(文部省)の翻訳と同じ年であった。 同書は、入門書とはいえ、経済循環・経済活動、そして経済学の体系を簡明に紹介しており、日本における最初の経済学辞典の編纂者でもある牧山耕平らの訳書とともに、労働組合とその活動を日本に初めて正確に、しかも組合活動を容認する観点から紹介した書でもあった。同年に同じ原書が田沢鎮太郎の手で『経済学階梯』(懸車堂)として訳されているが、広く受け入れられたのは永田訳であった。まだ資本主義生産も軌道に乗らず、薩長政権に対する不満から各地で士族による抵抗もみられ、ついには西南戦争まで勃発する不安定な時代に、経済活動の実情をはるかに超える形で西洋経済学、ことに英米の自由主義経済学が盛んに紹介されだしていたわけであるが、そんな中で永田は翻訳経済学の水準を超えるべく努力していた稀有の人であった『家事倹約訓』(文部省、1874年。丸家善七版、1877年)や『宝氏経済学』を基にそれをさらに平易に抄訳した『経済説略』(永田氏蔵版、1879年)の刊行も、その努力の現れといってよいであろうし、また商業地理学への取り組みにしてもそのような姿勢の現れと理解してよいであろう。 永田訳の『宝氏経済学』は、版を重ねた後、資本主義が確立する前夜の1887年に「改訳増補」されて和装本五巻から洋装本一冊に変わり、さらに広く読まれ続けることになる。(小室正紀) |
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