画像一覧 > 地理略 / 中上川彦次郎訳


  本書は1870年に東京北門社翻刻の英国チャンブル(Chambers, William and R.)氏『地学階梯』を中上川彦次郎が翻訳し、一問一答形式の問題を加え、慶応義塾の世界地理の教科書としたもの。後に三井財閥の近代合理化改革を推し進める中上川であるが、塾生の頃から世界中の国土山川海島港湾を暗記するほど地理学に精通していた。地理に関する他の著作に、『日本地図草子の文』(1873)がある。『地理略』は東西両半球図の世界地図を掲載している。地球の地質・気候に続き、アフリカ洲・ヨーロッパ洲・アジア洲・アフリカ洲・南北アメリカ洲・大洋洲の主要国の地形・政体・産業・宗教などが解説される。ヨーロッパ洲は「国富み兵強くして文明開化は世界中に比類なし」「交易の手広き文学の盛んなる芸術の巧みなる製造の夥しきは世界万国欧羅巴の右に出るものなし」、イギリス人は「人民一体に気力ありて独立の気象(ママ)を失うこと無く人に交わるに打明けて隠さず事を為すに正直なり殊に商売に骨折る風あり」と評価されている。これに対して、アジア洲が「大概皆文盲の野民なり或は半開半知の人もあれども真の文明開化の民は極めて少なし」、南アフリカ諸国が「土民の風俗甚だ卑しく人間の内にて最も下等の野民なり」、太平洋諸島が「元来の住民は無知文盲固より蛮野の人なりしが次第に耶蘇の教に化し文明の沢を蒙って人情和らぎ風俗改まり今は昔の跡も稀なり」と対照的であり、啓蒙主義的な西洋中心の文明史観である。原著者はイギリス人であるが、それを批判なく翻訳したところに、当時の中上川の文明観がうかがえる書である。しかし、叔父福沢諭吉の援助によって実現した1874年から3年間のイギリス留学中には、イギリスの享楽的な現実や西洋中心的な価値観の弊害を冷静に分析し日記に記していることを付け加えておきたい。(秋山美佐子)