1908年理財科主任となって以降、長く学部長の任にあって理財科・経済学部の発展を主導し、また1926年の社会民衆党の結成には安部磯雄、吉野作造らとともに呼びかけ人として名を連ねるなど、多方面に活躍した堀江帰一であったが、1927年12月の京都市岡崎公会堂での講演中、突然、脳出血で壇上に倒れ、一週間後に息を引き取った。本書は、その死の3ヶ月前に公刊された、堀江の生涯にわたる精力的な著作活動を締めくくる最後の書であり、折からの金融恐慌を受けて、1926年に刊行していた『金融経済一斑』を大幅に改稿・増補し、改題したものである。この中で堀江は枢密院の横やりで遅れた政府の対応を批判し、また日本の銀行の経営基盤の弱さを指摘しつつ、恐慌回避を名目とする休業銀行への日銀特別融資などの救済策実施にあたっては、「…休業銀行が蹉跌して、今日に至つたに就ては、銀行自身に大なる過失があつたからであつて、此過失を糾さずして、漫然休業銀行を救済するが如き、暴戻も亦甚だしい」として、まず経営者と株主、さらには、預金者に責任を取らせて、国の負担を最小限にすべき、と主張している。(三島憲之) |
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