人名 小泉 信三
人名読み Koizumi Shinzo
生年月日 1888/5/4 (明治21年)
没年月日 1966/5/11 (昭和41年)
出生地 東京都
専門分野 経済理論・社会思想・経済学史
解説

  小泉信吉を父として東京芝に生まれる。1902年、御田小学校を経て慶応義塾普通部に編入。1905年、義塾大学部予科、1907年には、大学部政治科に進学。ここで気賀勘重、堀江帰一らの薫陶を受ける。自身の回想によれば、福田徳三の講義が聞けるということで政治科を選んだという。1910年卒業し、直ちに大学部教員として採用された。1912年から1916年にかけて英独仏の各国に滞在、大学での講義を聞くかたわら、観劇などを中心におおいにかの地での生活を楽しんだ。帰国後、慶応義塾大学部教授に就任。爾来しばしばライバルとも目される高橋誠一郎とともに、塾の研究、教育、行政において中心的な役割を担った。1933年、困難な時局のなか慶応義塾長に就任。戦後は、東宮参与としても一般によく知られた存在であった。
  小泉の関心は多岐に及んでいる。第一には、日本での近代経済学の導入、確立にさいして彼が果たした役割がある。小泉の訳書としては、リカードウ(Ricardo, David)の『経済学及び課税の原理』とジェボンズ(Jevons, William Stanley)の『経済学の理論』があげられる。この二つの著作はそれぞれ古典派経済学、限界主義経済理論の主要著作である。小泉にとっては供給サイドも需要サイドもそれぞれ重要であり、その限りでは、両体系の総合を意図したマーシャル(Marshall, Alfred)の立場に小泉は近いといえる。そのような成果は『経済原論』として結実した。
  さらに、マルクス批判者としての小泉がいる。マルクスの立場に立つ河上肇、櫛田民蔵らとの論争はよく知られている。また、学生であった野呂栄太郎からは講義のさいにときおり質問を受け、そのマルクス理解には小泉も高い評価を与えていた。この立場を異にする二人の間の暖かい師弟関係はよく知られているところである。この領域での代表作は、『価値論と社会主義』、『マルクス死後五十年』であろう。
  既述のように、経済学の古典に通じていた小泉がすぐれた学説史研究者であったことは推測に難くないが、社会思想史の分野でも重要な業績を残している。元来「社会問題」としていた講座名を「社会思想史」としたのはほかならぬ小泉であり、これは「社会思想史」「社会思想」というタイトルを冠した講座名としてはかなり早い時期のものである。今日の慶応義塾での社会思想史研究は小泉の存在なくしては考えられない。公刊された著作としては、『近世社会思想史大要』などがあげられる。
  小泉には全集が存在する。文芸春秋から公刊された全26巻(+別巻)がそれであり、小泉の思想の全容を知ることができる。このように経済学の各分野でめざましい貢献をなした小泉であるが、たんなる評論の域を超えた、本格的な研究はまだ不十分である。とくに、戦中、戦後を含めたその思想的位置づけについては今度の課題である。(池田幸弘)

旧蔵書 小泉文庫(慶応義塾大学三田メディアセンター所蔵)
出典 / 参考文献 小泉信三著『小泉信三全集』別巻 (文芸春秋, 1970年),
<写真>慶応義塾写真データベース 福沢研究センター蔵