小幡篤次郎は渡辺一郎による『経済略説』を明治3年に『生産道案内』(上・下)として翻訳・公刊していたが、本書はその抄訳を新たにまとめて再刊行したものである。小幡は福沢同様、豊前国中津藩士の子として生まれ、元治元(1864)年、弟甚三郎とともに福沢に伴われて入塾して以来、塾頭、塾長、副社頭と塾の要職を歴任し、明治34年に福沢が亡くなると、その後継として第二代の社頭に就任した。彼は生涯を通じて福沢の補佐役に徹し、初期の慶応義塾の発展に尽力した。それは単に塾の学校行政にとどまらず、『学問のすすめ』初編には福沢とともに著者として名を連ね、またウェーランド経済書の翻訳を引き継いで『英氏経済論』を完成させるなど、その啓蒙・著述活動にまで及ぶものであったが、彼自身もトクヴィルを始めとする様々な洋書の翻訳・刊行を行い、啓蒙期の西洋思想の導入者として活躍した。本書は経済学における、彼の業績の一端を示すものとなっている。(三島憲之) |
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