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人名 |
McLaren Walter Wallace |
人名読み |
McLaren Walter Wallace |
生年月日 |
1877/3/4 (明治10年) |
没年月日 |
1951 (昭和26年) |
出生地 |
オンタリオ州, カナダ |
専門分野 |
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解説 |
マクラレン(Walter Wallace Mclaren)は、1877年3月4日、カナダのオンタリオ(Ontario)州レンフリュー(Renfrew)にて生まれた。1899年、カナダのクイーンズ大学より、修士号と神学士の学位を得ている。その後、オンタリオ州のピクトン(Picton)へ居住し、当地で1905年まで牧師として活躍している。理財科では珍しい宗教者出身の人であった。 1908年、ハーバード大学より博士号を取得して来日、慶應義塾大学教授に就任した。彼は、創刊して間もない『三田学会雑誌』にもいくつか論文を寄せている。内容は市電について、台湾問題、社会政策とJ.S.ミルの学説など、多岐にわたっている。1910年在日中にRogers, Zaidee と結婚している。1911年3月9日の「アダム・スミス紀年会」では「経済学史上に於けるアダム・スミスの地位」という講演をした。しかし、この講演を文章におこすことは、「教務の多忙」のため実現を見なかった。教授としての活動以外にも、Transactions Asiatic Society of Japan誌の編集者もつとめている。 当時は義塾出身の日本人留学生が教壇にあがり始めた時期であったので、マクラレンはドロッパーズ(Droppers,Garrett)やヴィッカーズ(Vickers,Enock Howard)などの前任者ほど重視されなかったらしい。マクラレンは、経済史と経済学説史など限られた教科しか教えなかった。マクラレン以降の外国人教師は、さらにこの傾向が顕著になる。マクラレンの授業の様子は、現在伝わっていない。 1914年に教授の職と編集者を辞任し、アメリカに渡った。次にマサチューセッツ州ウィリアムズタウンのウィリアムズ・カレッジで経済学教授に就任している。同じ年に”Japanese government documents,1867-1889”と題する本の編者として業績を残している。1916年には”A political history of Japan during the Meiji Era 1867-1912”という書も記している。アメリカでは、日本の専門家として活躍することになった。1920年には、国務省でEconomist for Far Eastern Countriesとして働いた。 マクラレンは、1927年ローレンス・カレッジより法学博士の学位を得ている。1935年には、Conference on Canadian-American Affairs実行委員会議長をつとめた。1945年にはウィリアムズ・カレッジ教授を辞任し、ハミルトン・カレッジで経済学教授に就任している。辞任して後1948年、母校クイーンズ大学より法学博士の学位を得た。 理財科の外国人教師は、概して寡筆な人が多かったが、マクラレンは日本を論じたものなどいくつかの著作や論文を残している。(坂本慎一) |
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旧蔵書 |
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出典 / 参考文献 |
"Who was Who Among North American Authors 1921-1939". Gale Research Company, c1976., "Who's who in America : a biographical dictionary of notable living men and women of the United States". Vol. 24, The A. N. Marquis Company, 1946-47., W. W. McLaren. "Japanese Government Documents". University Publications of America, Inc., 1979(Reprint edition)., <写真>慶応義塾写真データベース |