人名 Vickers Enoch Howard
人名読み Vickers Enoch Howard
生年月日 1869/3/14 (明治2年)
没年月日 1957/1/10 (昭和32年)
出生地 メリーランド州, アメリカ
専門分野  
解説

  ヴィッカース(Vickers, Enoch Howard)は、アメリカ、メリーランド州ワシントン郡にて1869年3月14日に生まれた。家は農家で、父親は文字の読み書きもできない人であった。
 1890年にウェスト・ヴァージニア州立大学で学位を取得し、同大学予備校で英語、数学の教師になった。2年後にこの職を辞してバーバード大学の居住学生となる。1893年には、ハーバード大学よりバチェラー・オブ・アーツ、1894年にはマスター・オブ・アーツを取得している。1年ほどアシスタントとして働いた後、ベルリンに1年、パリに2年留学した。
  1898年にドロッパーズ(Droppers, Garret)の後任として来日し、慶応義塾大学部理財科主任教師に就任する。「経済学原理」、「近世経済史」、「経済学史」、「保護及び自由貿易史」、「財政学」など主要な科目のほとんどを教えた。このころの大学部理財科はまだ大学としての体裁をなしておらず、ドロッパーズと同様に彼は多くの講義科目を担当した。青木徹二、堀江帰一気賀勘重ら第1回留学生が帰国して教壇に立ってからこの状態は改善されたので、ヴィッカース以降の外国人教師は彼ほど多くの講義を担当していない。
  ヴィッカースは就任してまもない1899年に西川虎之助の長女である西川キヨ(清子)と結婚した。虎之助はイギリスに留学した化学技術者であり、虎之助の妻はイギリス人であった。西川家では日常会話も英語であり、家庭は全て英国風であった。
 当時、福沢諭吉が外国人教師用に建築し、後に義塾の所有となっていた木造洋館が存在していた。1901年からヴィッカースは、この建物に住むようになった。帰国する1910年まで住んだため、この建築物はその後も「ヴィッカース・ホール」と呼ばれた。
  その後、彼は福沢諭吉の死という慶応義塾の大事件に遭遇する。これについてヴィッカースは、『慶応義塾学報』に短い弔いの辞を英文で寄せた。同じ号に他の外国人教師の辞が見あたらないことは、ヴィッカースが慶応義塾全体においても特別な位置にいたことを窺わせる。
 1903年にはヴィッカースの勧誘により、時事問題の討議や学理の研鑽を目的とした理財学会が設立された。留学から帰国した堀江、気賀などが中心に毎月例会を開き、塾内外から講師を招いた。ヴィッカースは主任外国人教師として重要な役割を果たした。
 また、彼の在日中に日露戦争も勃発した。これについてヴィッカースはニューヨーク市刊行の雑誌『ネーション』や『イブニング・ポスト』新聞紙上に日本を擁護する論陣を張った。戦後も日本政府の政策を弁護して『ジャパン・クロニクル』新聞の社説を批判した。慶応義塾での教師としての活動とこれらの言論活動が評価され、離日した後の1911年に勲四等旭日章を受勲している。
 教師としてのヴィッカースは、校内に居住していたので日夜学生に接し、学生の信望が厚かった。授業の様子については『慶応義塾百年史』大学編に、高橋誠一郎など複数の人の証言が紹介されている。難解であったと述べる人とわかりやすかったと述べる人が交錯しており、真相はよくわからない。しかし、雄弁家で熱心な教師であったことはまちがいない。
 ヴィッカースは生涯において論文も著作も少ない。彼の経済思想は歴史学派よりであったようだが、作品自体が少数なので詳細は不明である。彼は研究者としてよりも、教師としてその本領を発揮した人物であると言える。
 帰国して後、母校のウェスト・ヴァージニア州立大学に、経済学の教授として迎えられている。1913年鎌田栄吉が渡米の際、ヴィッカースの家に招待された。鎌田によれば、ヴィッカースの自宅は日本趣味であったという。1936年小泉信三は、ハーバード大学創立300年記念祝賀会参加のため渡米したが、この時もヴィッカースに会う予定であった。しかしヴィッカースは、義妹の急病で小泉とは会えなかった。
 ヴィッカースは、1938年ウェスト・ヴァージニア州立大学の名誉教授になる。退官後は、同州で公衆財産目録の監督者に就任している。この職は1941年に辞任し、1957年1月10日入院先のモノンガリア・ゼネラル・ホスピタルで死去している。彼の名前を冠した「ヴィッカース・ホール」は、戦時中の1945年に、木造家屋疎開のために取り壊しになった。現在この建物は存在しない。(坂本慎一)

旧蔵書  
出典 / 参考文献 慶応義塾編『慶応義塾百年史』(慶応義塾, 1958-1969年),
『来日西洋人名事典』(日外アソシエーツ, 1995年),
"Who was who in America". vol.5, Marquis Who's Who, 1969-1973.,
鎌田栄吉「欧米漫遊所感」(慶応義塾学報. 206号, 1914年),
芝哲夫「岸本一郎と西川虎之助」(和光純薬時報 71巻3号, 2003年)
<写真>福沢研究センター蔵